2012-06-25 19:03:11

洗礼者聖ヨハネの生涯を観想、教皇、日曜の集い


教皇ベネディクト16世は、バチカンで24日、日曜正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

この日、カトリック教会の暦は「洗礼者聖ヨハネの誕生」を祝った。聖マリアをのぞいて、典礼暦でその誕生が祝われる聖人は、洗礼者聖ヨハネのみであるが、それは彼が神の御子の受肉の神秘と密接に関わっているためであると教皇は指摘された。

実際、ヨハネは母の胎にいた時から、イエスの先駆者であったと述べた教皇は、「神にできないことは何一つない」(ルカ1,37)と天使が受胎告知の際にマリアに語った、マリアの親類エリザベトのヨハネ懐妊という特別な出来事を思い起こされた。

四福音書が、洗礼者ヨハネを、旧約聖書から新約の時代への幕開けを告げ、ナザレのイエスをメシアとして示す偉大な預言者として記していることを示しつつ、教皇は、「『見よ、わたしはあなたの先に使いを遣わし、あなたの前に道を整えさせよう』と書き記されているのはこの人のことである。あなたがたによく言っておく。女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネよりも偉大な者は現れなかった」(マタイ11,10-11)と告げるイエスご自身の言葉を紹介された。

ヨハネの父、エリザベトの夫であるザカリアは祭司であったが、夫婦共に高齢であったため、妻が男の子を生むという天使のお告げをすぐには信じられず、それゆえに子の割礼の日まで口がきけない状態におかれた。割礼の日、ザカリアの口が開き、彼は聖霊に満たされ「幼子よ、おまえは、いと高きおん者の預言者と呼ばれる。主に先がけて行き、その道を整え、罪のゆるしによる救いをその民に知らせるからである」(ルカ1,76-77)と預言した。

教皇は、これらすべてのことは30年後、メシアの訪れを待ちながらヨハネがヨルダン川で人々に洗礼を授けていた時に表されたと述べ、その後、イエスご自身がヨハネから洗礼を受け、その時、聖霊が下り、天から御父の声が聞こえた場面を観想。

こうして、イエスの暴力的な死に先立つように、ヘロデ王の牢獄で斬首され殉教したヨハネの、神の子羊を最初に認め、そしてそれを公的に示した証しの生涯を見つめられた。








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