2012-05-23 17:47:14

子としての愛と信頼のうちに神に祈る、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、バチカンで23日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇はキリスト教の祈りをテーマに、聖パウロの書簡中の祈りに関する記述の考察を続けられた。

この日、教皇は、聖パウロの書簡の2つの記述、「あなたがたが子であることは、神が『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実からわかります」(ガラテヤ4,6)と、「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と叫ぶのです」(ローマ8,15)に注目された。

聖パウロが説くように、偉大な祈りの師である聖霊は、イエスのように子としての愛情を込めて、神に向けて「アッバ、父よ」と呼びかけることをわたしたちに教えてくれると教皇は強調。

ゲツセマネの祈りにおけるような最も大きな試練はもとより、地上の生活の様々な場面で「アッバ、父よ」と信頼をもって御父に祈ってきたイエスのように、教会もまたその歩みの最初から、特に「天におられるわたしたちの父よ」という呼びかけで始まる「主の祈り」を通して、神なる御父への祈りを自分たちのものとしてきたと話された。

「キリスト教は恐れの宗教ではなく、わたしたちを愛してくださる神への信頼と愛の宗教です」と述べた教皇は、人は聖霊を受け入れ、キリストにおいて神の子とされることで、子どもの親に対するような愛情と信頼をもって神に祈ることが可能となると説かれた。

父親の存在感がしばしば不十分な今日の世界では、「父」という言葉が持つ素晴らしさ、偉大さ、深い慰めを感じることは難しいかもしれないが、イエスご自身の神に対する子としての関係に、天の御父の真の姿を見出すよう教皇は招かれた。

御子イエスの十字架上の死に至るまでの愛こそ、御父の真の姿、愛である神を啓示するものと述べた教皇は、子としての祈りによってわたしたちはその神の愛の世界に入り、わたしたちの望みや、自己充足や利己主義によって自分を閉ざす態度を清められるのであると話された。

わたしたちにとって神が「父であること」は2つの次元を持つと教皇は指摘。神はわたしたちの創造主であるがゆえに「父」であるが、それをさらに超え、キリストの霊によって、キリストにおいて、わたしたちに「神の子」として新しい関係が開かれたと説明された。

わたしたちの「神の子」という立場は、イエスの神の御子としての完全さを当然持たないが、それゆえにわたしたちは信仰の歩みの中で、キリストとの交わりを通して、神なる御父との親しい愛の絆により深く入っていかなければならないと教皇は呼びかけられた。

そして、神の友、神の子となることの素晴らしさを味わいながら、子どものような信頼をもって神に向かい、聖霊に導かれ「アッバ、父よ」と叫ぶことで、私たちの考え、行いをイエス・キリストにより近づけていくことができるようにと願われた。








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