2012-05-09 18:56:26

「皆の祈りに支えられていることに感謝」教皇、一般謁見で


教皇ベネディクト16世は、バチカンで9日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇はキリスト教の祈りをテーマに、この日は使徒言行録12章の、投獄されたペトロが牢から天使に救い出されるエピソードを考察。ここにペトロの解放の意味を読みとると共に、絶えず祈り続ける教会のあり方を示された。

ペトロはヘロデの命令によって捕えられ牢に入れられていたが、エルサレムの民衆の前に引き出される日の前夜、天使によって助け出された。(使徒言行録12,1-17)

ペトロが牢に入れられていた時、「教会では彼のために熱心な祈りが神に捧げられていた」(使徒言行録12,5)、またペトロが救い出された後、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行くと、「そこには、大勢の人が集って祈っていた」(同12,12)という記述に、教皇は危険や迫害を前に夜を徹して祈るキリスト教共同体の姿と、神に上げるその祈りの力を見出された。

また教皇は、真夜中に起こされ、急いで帯を締めるように天使に言われるペトロ救出のエピソードが、腰帯を締め、靴を履いて急いで子羊の肉を食べる、イスラエルのエジプト隷属からの解放における主の過ぎ越しの出来事を思い起こさせることを指摘。

同時にペトロが牢にいると「主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした」(同12,7)ことに、教皇は復活の主の闇と悪に打ち勝つ解放の光を重ねあわされた。

さらに、「上着を着て、ついて来なさい」(同12,8)という天使の言葉は、ペトロに対する「わたしについて来なさい」というイエスの最初の呼びかけ(マルコ 1,17)や、復活後イエスがティべリアス湖畔で彼に繰り返し言った「わたしに従いなさい」 (ヨハネ 21,19.22)という言葉を思い出させるものであると教皇は述べられた。

一方、教皇はペトロが牢で眠っていたことにも注目。せまる危険の中でそれは不自然なことのように思われるが、むしろそれは、人々の祈りと連帯に包まれ、完全に神の手に身をゆだねた使徒の姿ではなかったかと教皇は話された。

聖ペトロの解放のエピソードは、教会や、わたしたち個人が試練の夜にあっても、絶えざる祈りが常にわたしたちを支えてくれることを教えていると述べた教皇は、ご自身も登位したその時から、常に教会と皆の祈りに支えられてきたことを感じていると、すべての人々の祈りにあらためて深い感謝を表された。








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