2012-05-02 19:05:38

聖ステファノの殉教と祈りをテーマに、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、バチカンで2日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇はキリスト教的祈りをテーマに、現在、聖書中の人物や共同体の祈りを考察されている。この日は使徒言行録にある聖ステファノの殉教を取り上げ、このエピソードに神の御言葉と祈りの豊かな関係を見出された。

教会の最初の殉教者である聖ステファノは、最初のキリスト教共同体において、貧しい人々の世話を任された7人のひとりとして選ばれた。

ステファノは「恵みと力に満ちて、民の間ですばらしい不思議な業やしるしを行なっていた」が、『イエスはこの場所(神殿)を壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう』と言うステファノを人々は神を冒涜する者として最高法院に引き出した。

教皇は、ステファノが裁判における演説で、アブラハムやモーセの時代にさかのぼって神の救いの歴史をたどりながら、預言者が常に人々から受け入れられず迫害されたこと、イエス・キリストこそが「神」、真の信仰の「場所」であることを説いていく過程を振り返られた。

そして、激しく怒った人々に石打ちにされたステファノは、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」という祈り、そしてその殉教を通して、イエスと一つになったと教皇は述べられた。

教皇は、この最初の殉教者ステファノの、迫害に立ち向かい、自分を捧げるまでの力はどこから来たのかと問いながら、それは神との交わり、救いの歴史の深い観想、イエス・キリストにおいて神の行いと姿を見ていたことにあったと指摘された。

聖ステファノは聖書に預言された神と人の愛の絆の歴史にイエスの使命をしっかりと位置づけていたと話した教皇は、私たちの祈りも、神の右におられるイエスを思い、イエスを自分の毎日の生活の「主」として観想するものであるようにと願われた。








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