2012-04-26 18:03:28

「生活と仕事が、祈りと御言葉に根差すように」教皇一般謁見



教皇ベネディクト16世は、バチカンで25日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシスで教皇は、キリスト教的祈りをめぐる考察として、先週に引き続き最初のキリスト教共同体における祈りの役割に注目された。

使徒たちを中心に形成されたエルサレムの初期キリスト共同体に、弟子が増えていくと共に、日々の分配など、貧しい人々への配慮の問題が持ち上がり、そこでその仕事に専念するためステファノをはじめとする7人が選ばれた経緯(使徒言行録6章)を教皇は解説。

弱い人々、貧しい人々に対する慈愛と正義という、共同体にとって本質的な問題に対応するために、使徒たちの提案に従って人々が「霊と知恵に満ちた評判の良い」7人を選ぶと、使徒たちは祈ってから彼らの上に手を置いた。

「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのはよくない」と述べた使徒たちは、この7人に仕事を任せることで、自分たちは「祈りと御言葉の奉仕に専念する」つもりだと宣言していることに教皇は注目。

ここに教皇は、御言葉を告げるという神に対する最優先事項と、具体的な慈愛の業という、教会生活の2つの現実を両立させようと模索する使徒たちの姿勢を見出された。

この出来事と同時に、教会は慈愛の業をその一つの任務として確立したことを教皇は指摘。さらに、それにたずさわる者たちがただ評判が良いだけでなく、霊と知恵に満ちた者であるべきとしたことは、ただ仕事を有能に果たすのではなく、神の光の下に信仰の精神と心の叡智をもって奉仕するという、その役割の精神性を強調するものであったと述べた。

また、祈ってから選ばれた者たちの上に手を置く行為も、単なる社会事業を託す行為でなく、イエス・キリストにおいて聖化される教会の儀式という精神性を明らかにしていると話された。

使徒言行録のこのエピソードは、日常の仕事の大切さや、それに伴うべき責任と献身だけでなく、そこに神の必要性、私たちを照らし導く神の光が必要であることを思い出させてくれると述べた教皇は、祈りなしでは、わたしたちの活動は深い心を失い、単なる行動主義に陥ってしまうと注意を促された。

使徒たちが慈愛の業にあたる7人を選び、自分たちは祈りと御言葉の奉仕に専念するとしたことは、祈りと御言葉の最重要性を示すと同時に、教会の具体的な司牧行為を生み出すきっかけにもなったと教皇はこのエピソードを振り返り、皆の霊的生活が常に祈りと御言葉に息づくものであるようにと願われた。








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