2012-04-08 14:04:41

復活祭2012:「キリストは希望です」教皇、ローマと世界にメッセージ


カトリック教会の典礼暦は、8日、主の復活の大祝日を迎えた。

教皇ベネディクト16世は、バチカンからローマと世界に向けて復活祭のメッセージと祝福をおくられた。

前晩、大聖堂で復活の聖なる徹夜祭をとり行われた教皇は、一夜明け、広場で復活の主日のミサを捧げられた。

続いて正午、教皇は大聖堂の中央バルコニーから、復活祭のメッセージを読み上げられた。

この中で教皇は、わたしたちの人間性の中に入ってこられた神、善意と真理と憐れみそのものであるキリストは、十字架の死の試練を通過し、わたしたちに生命の王国に向かう道を開いてくださったと述べ、復活され、今も、いつもわたしたちのそばに現存するキリストに、希望の力を見出していこうと呼びかけられた。

そして、復活のキリストが、特に中東とアフリカの人々の平和と安定への努力を励ますようにと祈られた。

メッセージの後、教皇は世界の65ヶ国語で主の復活のお祝いを述べられた。教皇は日本語でも「ご復活祭おめでとうございます」と挨拶された。

最後に、教皇はローマと世界に向けての祝福「ウルビ・エト・オルビ」をおくられた。

このところローマは春らしい不安定な空模様が続いているが、この日は雲の合間に素晴らしい青空がのぞいた。バチカン周辺は復活祭の教皇祝福を受けるために聖ペトロ広場に向かう人々で賑わった。

広場にはチューリップやスイセン、エニシダや桜など、オランダから寄贈された4万2千本の花木で今年も「春の庭園」が設けられ、白い大聖堂を背景に美しい色彩を放っていた。

大聖堂の鐘楼の喜びの鐘と共に、バチカンの楽隊とイタリアの憲兵隊のブラスバンドの演奏が響き、巡礼者たちは復活祭の明るい雰囲気をいっぱいに味わっていた。

教皇ベネディクト16世の2012年の復活祭メッセージは以下のとおり。

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ローマと全世界の兄弟姉妹の皆さん

「わたしの希望、キリストは復活された」

復活の朝まだき、イエスに最初に出会ったマグダラのマリアの唇にのぼった喜びの言葉、このいにしえの賛歌と共に、教会の喜びにあふれる声が、皆さん一人ひとりのもとに届きますように。マグダラのマリアは、大急ぎで他の弟子たちのもとに走り、大喜びで彼らに告げました。「わたしは主を見ました」(ヨハネ20,18)。

四旬節の荒野、ご受難の苦しみの日々を通過してきたわたしたちも、今日、勝利の叫びを挙げましょう。「 復活された。本当に復活された」。

すべてのキリスト者が、マグダラのマリアの経験を追体験します。それは、生活を変えてしまう出会いです。それは、神の真実と善意そのものを、わたしたちに体験させてくれるのです。それは、表面的で一時的な方法ではなく、根本的にわたしたちを悪から解放し、わたしたちを完全に癒し、尊厳を取り戻させてくださる唯一の方との出会いなのです。

それゆえに、マグダラのマリアは、イエスを「わたしの希望」と呼ぶのです。なぜなら、イエスこそが彼女を再び生きる者とし、新しい未来、素晴らしい存在を与え、彼女を悪から解放されたからです。

「わたしの希望、キリスト」とは、キリストの中にわたしのすべての望みがあり、キリストと共にわたしの生涯が良い、充実した、永遠のものであることを期待できるからです。なぜなら、神ご自身がわたしたちの人間性の中に入ってこられるほどに、間近な者となってくださったからです。

しかし、マグダラのマリアも、他の弟子たちと同じように、民の頭たちから拒否され、捕縛され、鞭打たれ、死を宣告され、十字架にかけられたイエスを見なければなりませんでした。人となられた善意そのものが人間の悪意にさらされ、真理そのものが虚偽から嘲笑され、憐れみそのものが復讐によって侮辱されることは、見るに耐えないことだったでしょう。

イエスの死と共に、彼を信頼していた人々の希望も消え去ったかに見えたでしょう。しかし、この信仰は、弱まるはずはありませんでした。特に、イエスの御母、聖母マリアの心の中では、灯火はあの夜の闇にあっても、生き生きと燃え続けていました。

希望は、この世では悪の力と対峙せざるを得ません。希望を妨げるのは死の壁だけではありません。さらに激しいねたみや、傲慢、虚偽、暴力も、希望を損ないます。

イエスはわたしたちのために、生命の王国に向かう道を開くために、この死の試練を通過したのです。

イエスが完全に打ちのめされたかのように見える時がありました。闇が全地を覆い尽くし、神は完全に沈黙され、希望はもう虚しい空言のように思われました。

土曜日の翌日の朝まだき、墓は空になっていました。イエスはマグダラのマリアと、他の女性たち、そして弟子たちに、ご自分を示されました。信仰はこれまで以上に、生き生きと力強くよみがえります。もう負けることはありません。なぜなら、それは決定的な体験に基づくものだからです。

「死と命は戦いました。/ 命の主は死にました。/ しかし、今、生き、凱旋します」。「生けるキリストの墓、/ 復活されたキリストの栄光、/ 証人である天使たち / 彼の汗を拭いた布と彼の衣」。復活の様々なしるしは、死に対する生命の勝利を、憎しみに対する愛の勝利を、復讐に対する憐れみの勝利を、証しするのです。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、もしキリストがよみがえられたのなら、実際に世界と人類の状況を変革するような、何か本当に新しいことが起こったということです。ならば、彼、キリストは、わたしたちが絶対的に信頼できるお方、ただそのメッセージに信頼するだけではなく、まさしく彼そのものに信頼できるとお方ということです。なぜなら、復活されたお方は過去の人ではなく、今この時に、存在し、生きているお方だからです。

キリストは希望です。特に信仰のために迫害と差別に深く苦しむキリスト共同体にとっての慰めです。苦しみと不正義の状況に置かれたあらゆる人々のすぐ近くに、キリストはその教会を通して、希望の力として、いつも現存しています。

復活したキリストが、中東に希望を与え、同地域のすべての民族・文化・宗教に属する人々が、共通善と人権の尊重のために力を合わせて働くことができますように。

特に、シリアにおいて、流血の行為を止め、国際社会が強く願うように、すみやかに尊重と対話と和解の道を選び取ることができますように。シリアからの多くの避難民と人道支援を必要とする人々が、受け入れと連帯を見出すことで、その辛い苦しみを和らげることができるよう祈ります。

復活の勝利がイラクの人々を励まし、彼らが安定と発展への歩みを絶えず続けることができますように。

聖地で、イスラエルとパレスチナの人々が、勇気をもって平和へのプロセスを再開することができますように。

悪と死に打ち勝った主が、アフリカ大陸のキリスト教徒たちを支えると共に、彼らに困難に立ち向かう力を与え、それによって彼らが社会における平和と発展の担い手となれますように。

復活のイエスがアフリカの角地域の人々を慰め、和解のための力となりますように。

アフリカの湖水地帯、スーダンと南スーダンを助け、人々に赦しの力を与えてください。

政治的な過渡期にあるマリに、栄光のキリストが平和と安定をもたらしてくださいますように。

最近、テロ攻撃による流血の舞台となったナイジェリアに、復活の喜びが平和的で、宗教の自由を尊重する社会の構築に必要なエネルギーを与えてくださいますように。

皆さん、よい復活祭をお迎えください。








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