2012-03-13 18:47:45

「暴力は反キリスト的なもの」教皇、日曜の集い


教皇ベネディクト16世は、バチカンで11日、日曜正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

祈りに先立つ説教で、教皇はこの日の福音朗読箇所、イエスが神殿の境内から、商売をしていた人々を追い出したエピソード(ヨハネ2,13-25)を観想された。

過越祭の近づくエルサレムの神殿の境内で、弟子や群集に大きな驚きを与えたであろうイエスのこの行動をどのように解釈すべきかと教皇は問われた。

イエスの行為が保安関係者から静止されることが一切なかったのは、それが典型的な預言行為と見られたためと教皇は指摘。実際、預言者たちは神の名によって、しばしば不法を訴え、象徴的な行為をもってそれを表していたと説明された。

イエスのこの行為に政治的・革命的な解釈を与え、イエスを熱心党の運動と結び付けて考える人々もいたが、イエスはそういう人々を失望させることになり、弟子たちの幾人かはイエスを去り、さらにイスカリオテのユダはイエスを裏切るまでに至ったと教皇は述べられた。

教皇は、神の掟のためなら暴力も辞さない熱心党と、イエスはまったく相容れないと強調。暴力は神の王国に反するもの、反キリスト的なものであり、暴力が人類に役立つことは決してないと明言された。

「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない」というイエスの言葉に、弟子たちは「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した、という福音書の記述に教皇は注目。

「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という言葉は詩編(69,10)にあるもので、敵の憎しみによって引き起こされた究極の危機の中で神の助けを求める祈りの一部であることを解説しながら、イエスの愛の熱意は暴力をもって神に仕えることでなく、自己犠牲によって示されることになったと話された。

また、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」というイエスの言葉に、福音記者聖ヨハネが「イエスの言われる神殿とは、ご自分の体のことであった」と説明を加えている点にも触れた教皇は、イエスの過ぎ越しによって新しい愛の信仰、イエスご自身である新しい神殿が始まったのであると説かれた。








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