2012-03-08 17:20:58

イエスの沈黙を考える、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、バチカンで7日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシスで、教皇はイエスの祈りをテーマとした一連の考察を、「イエスの沈黙」についての観想をもって締めくくられた。

この日の謁見には、シノドス開催のためにローマを訪れたアルメニア・キリキアのカトリック総主教、ネルセス・ベドロス19世タルモーニ総主教および世界各地のアルメニア典礼の司教らの姿が見られた。教皇は、カトリック・アルメニア典礼の教会の伝統と歴史の試練に耐えたその信仰に触れながら、アルメニアのカトリック信者の福音精神をより活性化するために、この会議の実りを祈られた。

同時に、教皇はこの席で中東の教会関係者に思いを向けられ、辛く苦しい状況の中で希望を持って忍耐するよう、同地の司牧者と信者らに勇気付けの言葉をおくられた。

教皇のカテケーシスの要約は以下のとおり。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

イエスの祈りをめぐるカテケーシスのシリーズを終えるにあたり、今日は神との関係における沈黙の重要さについて話したいと思います。

キリストの生涯そのもの、またその祈りにおいて、特に、彼の十字架上での体験において、わたしたちは言葉と沈黙の絶え間ない相互関係を目にします。

イエスの十字架上での死の沈黙は、御父に対する彼の最後の言葉であり、最高の祈りです。神の言葉を聴くためには、外的にも内的にも沈黙を養う必要があります。そうするならば、神の声はわたしたちの心の中に響き、わたしたちの人生を形作ってくれるのです。

イエスはまた、神は特にわたしたちが困難にある時、その沈黙を通して信仰をますます深め、神の約束に信頼するようわたしたちに語りかけていると教えています。

イエスはわたしたちの祈りの偉大な先生です。天の御父に、愛する息子・娘として信頼をこめて語りかけることを、わたしたちはイエスの祈りから学びとります。

わたしたちは子としてのこのような対話をとおして、神からいただいた多くの恵みを認めるよう、そして人生の意義と方向性を与えてくれる神のみ旨に従うよう、教えられるのです。








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