2012-02-23 18:49:36

灰の水曜日:教皇、聖サビーナ教会で伝統の行事


典礼暦で「灰の水曜日」を記念した22日、教皇ベネディクト16世はローマの聖サビーナ教会で伝統の典礼をとり行われた。

「灰の水曜日」と共に、教会は復活祭前の準備期間「四旬節」に入った。

この日の夕方、教皇はまず市内のアヴェンティーノの丘で宗教行列に参加された。

聖アンセルモ教会から聖サビーナ教会までの道のりを、両教会に拠点を置くベネディクト会とドミニコ会の修道者たちをはじめ、信心会の会員や、聖職者、信者らが厳かに歌い、祈りながら進み、静かな丘に聖歌と連祷が響いた。

教皇は聖サビーナ教会でミサを司式され、この中で灰を祝別し、その灰を各自の頭に受ける儀式、「灰の式」をとり行われた。

説教で教皇は、復活祭に向けた四旬節の歩みを「灰の水曜日」から始めるに当たり、灰が象徴する典礼的意味を観想された。

教皇は、ユダヤ教文化の中で古くから、灰を頭にかぶることは痛悔のしるしであったことに言及。

灰の祝別、そして「塵に過ぎないおまえは塵に帰る」(創世記3,19)という言葉と共に灰を頭に置く儀式から構成される「灰の式」を解説しながら、教皇は、キリスト者にとって灰は死と悔いあらための象徴であることはもとより、復活のキリストの神秘を通して、祈りと聖化に結びついていく特別なしるしであることを教えられた。

「灰は、私たちを神の創造の偉大な絵巻の中に引き入れるもの」と述べた教皇は、神が土の塵からアダムを創造したことを人々に思い起こさせた。

しかし、一方で、アダムとエバが禁じられた実を食べたことで、神から与えられた罰ゆえに、いのちと豊饒の土は呪われたものとなり、「塵に過ぎないおまえは塵に帰る」と神から言い渡されたアダム自身が土に帰るその日まで耕さなければならない「茨とあざみ」の生えいでる土地、死を意味するものになってしまったと指摘された。

教皇は、この正当な罰の中にも神の人間に対する善き意図は残り続け、私たちは「塵に過ぎないおまえは塵に帰る」という言葉の向こうに、救いの道、まさに御言葉がそのはかない塵と肉の形をとって人となられたことで私たちに与えられた、救いの道を見ることができると説かれた。

この灰の水曜日に繰り返される創世記の言葉を胸に、自分を謙虚に問い正し、痛悔し、死すべきいのちを受け入れることで、死の彼方に開く復活と天への道を見出すよう信者らを招かれた。








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