2011-09-23 19:06:06

教皇、ベルリンでミサ「まことのぶどうの木であるキリストにつながろう」


教皇ベネディクト16世は、ドイツ司牧訪問の初日、22日の夕方、ベルリンのオリンピアシュタディオンでミサを捧げられた。

オリンピアシュタディオンは1936年夏のベルリン・オリンピックの中心会場となった歴史ある競技場。現在は改修を経て、より新しい機能を備えたものになっている。1996年、前教皇・福者ヨハネ・パウロ2世は、この競技場で2人の福者、カール・レイスナーとベルンハルド・リヒテンベルグの列福式を行われている。

スタジアムに到着された教皇は特別車パパモービルで会場を一周され、観客席や競技トラックを埋めたおよそ8万人の信者の歓迎に応えられた。

ミサの説教で教皇は、ヨハネ福音書15章の、イエスがご自分をぶどうの木にたとえられたエピソードを取り上げられた。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハネ 15,5)というイエスの言葉は、「ぶどうの木とその枝がつながっているように、あなたがたもわたしにつながっている。しかし、わたしに属しながら、あなたがたもまた互いに属しあっている」ということを教えている、と教皇は説明。

また、「わたしはまことのぶどうの木」というイエスのたとえは、「わたしはあなたがたで、あなたがたはわたしである」という、イエスと私たちと教会との同化を示す驚くべき意味を語っていると解説。イエスと教会との同化は、教会を迫害していたサウロ(パウロ)に、ダマスコ途上で主が「なぜわたしを迫害するのか」と呼びかけたことにも明らかであると述べられた。

今日、教会を外見的に社会の中の単なる一組織と見なしたり、教会の痛ましい体験だけを見つめ、教会の持つ大きく深遠な神秘に目を向けない風潮を教皇は指摘。こうした中で人々は教会というぶどうの木に属している喜びを感じることができないでいると話された。

「時に私たちは搾り機の下で完全につぶされたぶどうのように感じることがあっても、キリストと共にいれば、成熟したぶどう酒となることができます。神は私たちの人生の苦しみを愛に変えることができるからです」と教皇は説かれ、福音書記者が繰り返す、「キリストにつながる」という言葉を忘れないように願われた。

「キリストにつながるとは、また教会につながること」と述べた教皇は、教会においてキリストと一致する深い喜びを再発見し、そこに人生に必要な慰めと贖いを見出し、世界のために喜びと愛のぶどう酒となってほしいと、教皇はドイツの信者らに呼びかけられた。








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