2011-09-08 18:37:16

人間の叫びに応えられる神、詩編第3番を考察、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、7日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この日の一般謁見は、カステルガンドルフォから久しぶりにバチカンの聖ペトロ広場に会場を移して行われた。

教皇は、カテケーシス(教会の教えの解説)で祈りをめぐる考察を再開、優れた「祈りの本」として示された『詩編』の中から、第3番を観想された。

詩編第3番は、伝統的に、ダビデ王が息子アブサロムの反逆により王座を脅かされ、身を守るためにエルサレムを後にした時(サムエル記下15章参照)の祈りとされ、その内容は極度の困難の中で神に深い信頼をよせて天に上げる叫びともいえる祈りに貫かれている。

教皇はこの詩編作者の叫びに、一人ひとりの人間が人生で体験する苦しみや悲しみ、そして神への信頼を重ねられた。

神に助けを求めて声を上げる詩編作者は、危険の中で孤立しているが、神との固い絆を保ち続けていると、教皇は指摘。しかし、敵はその神への信頼をも揺さぶることで、肉体的な危険だけでなく、精神的な攻撃に作者をさらしていると述べられた。

神を信じる者にとっての究極の誘惑は、信仰をなくす誘惑、神がそばにいるという信頼を失わせる誘惑であり、信仰の否定という重大な誘惑に打ち勝ってこそ、人は神といのちを見出すことができると教皇は強調された。

詩編作者は神へのゆるぎない信頼によって精神的危機に打ち勝ち、やがて敵は心から姿を消す。人は不安や苦しみ、危険の中で神に助けを求め、神はそれに応えられる。この人間の叫びと神の回答こそは、祈りを構成し、救いの歴史を読み取る鍵となるものであると教皇は話された。

教皇は、詩編第3番は、信頼と慰めに満ちた祈りであり、人はこの詩編を祈ることで、イエスにその完全な姿を見出す、迫害された義人としての詩編作者の思いを自分のものとし、危険や苦しみ、無理解や侮辱の中でも、神が常にそばにおられるという、信仰からくる慰めに満ちた確信に心を開くことができるのであると説かれた。








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