2011-07-21 18:46:33

カジミェシュ・スヴィアテク枢機卿逝去、ミンスク名誉大司教


ベラルーシのミンスク=モヒレフ名誉大司教、カジミェシュ・スヴィアテク枢機卿が21日、逝去した。96歳だった。

葬儀は25日、ピンスク司教座大聖堂でとり行われる。

ベラルーシの教会にとって、「嵐の中に立ち続けた精神の樫の木」、「旧ソ連におけるカトリシズムのシンボル」、また「教会の再生と希望の象徴」と言われたスヴィアテク枢機卿の生涯は、東欧の20世紀の激動の歴史と深く結びついている。

スヴィアテク枢機卿は、1914年、エストニアのヴァルガに生まれ、ラトビアのリガで洗礼を受けた。3歳の時、家族はシベリアに強制移住させられた。1933年、ベラルーシのピンスクの神学校に入り、1939年4月、司祭叙階。ピンスク教区司祭となるが、第2次世界大戦勃発のため、司祭として普通に活動できたのはごく数ヶ月だった。1941年と1944年に2度、ソ連秘密警察によって逮捕され、獄中生活をおくった。後、10年間、シベリアでの強制労働を体験。1954年、強制労働から解放されると、ただちにピンスクで司牧活動を再開した。1989年、ピンスク大司教代理、1991年、ミンスク=モヒレフ大司教。1994年、ヨハネ・パウロ2世によって、枢機卿に任命された。

同枢機卿は著書の中で、シベリア流刑時代について、次のように記している。
「強制収容所では、最後の数年になってようやく、隠れてミサを捧げるためのぶどう酒とホスチアを入手できた。カリスとして陶器の茶碗を使い、聖別したホスチアはカトリック信者に持っていくためにマッチ箱に隠した。ある復活祭に、カトリックの囚人たちと洗濯室の湯気の中でミサを祝った。私の司祭生活の中で一番思い出深い復活祭であった。」

教皇ベネディクト16世は、現地の教会関係者に宛てた弔電で、スヴィアテク枢機卿逝去の悲しみを信者らと共にされ、永遠の安息を心から祈られた。そして、熱心で寛大な司牧者、特に困難な時代における精力的な尽力、その後のベラルーシの精神的再生への貢献など、勇気をもってキリストを証ししたその生涯を思い起こされた。








All the contents on this site are copyrighted ©.