2011-07-11 19:04:15

イエスの「種を蒔く人」のたとえをテーマに、教皇、日曜の集い


教皇ベネディクト16世は、カステルガンドルフォで10日、日曜正午の祈りを信者と共に唱えられた。

この日は、教皇が夏期休暇のためにカステルガンドルフォに移られてから最初の集いとなったが、離宮の中庭は地元市民や、世界各国の巡礼団でいっぱいとなった。

説教で教皇は、この日の福音朗読箇所(マタイ 13,1-23)から、イエスの「種を蒔く人」のたとえを取り上げられた。

教皇は、このたとえ話にはイエスご自身の説教における経験が反映されていると指摘。イエスは種を蒔く人に神の御言葉の種を広める人の姿を投影し、蒔かれた種の育ち方にたとえて、御言葉を聞いた人の様々な反応を、表面的に聞くだけで受け入れない人、一時的に聞くが忍耐がない人、この世の心配事や誘惑にその声をかき消されている人、御言葉をよく受け入れ良い土地に蒔かれた種のように豊かな実を結ぶ人として表現している、と説明された。

また、同箇所では、弟子たちがイエスに「なぜ彼らにたとえを用いて話すのか」と尋ねている。イエスは、イエスに対して心を決めている人には神の国について自由に話し、そうでない人には決意と回心を促すためにたとえを用いて話すのであり、実際、たとえとは解釈の努力や、理性、そして自由を必要とするものだからであると、教皇は述べられた。

そして、教皇は、最終的には真の神のたとえとは、イエスご自身であると説かれた。

集いの中で教皇は、翌11日、典礼暦で、西洋における修道生活の偉大な父、聖ベネディクト修道院長が記念されることを紹介。神の御言葉に深く忍耐強く耳を傾け、神を第一に据え、朝晩の祈りと日中の行動を神に捧げることを同聖人から学ぶよう招かれた。

この日は、カトリック教会の「船員の日」を記念したが、教皇は、船員や漁師、そしてその家族たちの司牧に当たる司祭やボランティアたちに思いを向けると共に、海賊行為によって不法に監禁されている船員たちのために祈りを約束された。教皇はこれらの船員たちが尊重され人間的な扱いを受けるよう、また家族らが信仰を強く持ち、再会の希望を失うことがないようアピールされた。








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