2011-07-05 17:33:43

教皇「イエスの軛とは愛の掟」非暴力と尊重の必要を説く



教皇ベネディクト16世は、バチカンで3日、日曜正午の祈りを信者と共に唱えられた。

説教で教皇はこの日のミサの福音朗読箇所から「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ 11,28-30)というイエスの言葉を取り上げ、観想された。

イエスはガリラヤの道を進み、神の王国を告げながら、病人を癒し、飼い主のいない羊のように疲れて弱った人々の群れを憐れまれたが(マタイ9,35-36)、このイエスの眼差しは、困難な状況に置かれた人々、人生の意味や目的を見出せない人々など、今日の世界を生きる人たちにも注がれている、と教皇は強調。

貧しい国々の困窮し疲弊した人々、豊かな国々で生活しつつも心を満たされない人々、さらに避難民や難民、命を危険に晒してでも移住を選ぶ人々、キリストはこうしたすべての民に眼差しを向けながら、「わたしのもとに来なさい」と招いておられると、話された。

次に、イエスはすべての人々に安らぎを約束しながら、その条件として「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい」と述べていることに、教皇は注意を促された。

そして、重くのしかかることなく、むしろ軽く感じさせ、人を押しつぶすのでなく、逆に楽にする、イエスのその「軛」とは何か、それはイエスが弟子たちに遺した「愛の掟」である、と説かれた。

飢餓などの物質的な問題、偽の豊かさがもたらす心理的・道徳的危機など、人類の負った傷を癒す薬は、神の愛を源とする兄弟愛に基づいた掟であると指摘された教皇は、人間関係、社会、自然環境における暴力や傲慢を捨て、尊重的態度を取ることが人類の未来の保証につながると述べられた。

集いの中で教皇は、この日ルーマニアで殉教者ヤノス・シェファー司教(1887-1952、共産党政権下で迫害を受け、獄死)の列福式が行われたことを紹介され、シェファー司教の証しが同師を親愛のうちに記憶する人々はもとより次世代の信仰を支えることを祈られた。

教皇は信者への挨拶で、数日後にカステルガンドルフォの離宮に移られることを告げられた。教皇は夏期休暇期間中、毎週水曜日の一般謁見は行わないが、日曜正午の祈りの集いを離宮の中庭にて行われる。








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