2011-06-01 18:57:10

モーセの祈りを考察、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、バチカンで1日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇はキリスト教的祈りをめぐる考察を続けながら、この日は旧約聖書に登場するモーセの「祈りの人」としての姿に注目された。

偉大な預言者であり、出エジプト時代の指導者でもあったモーセは、神とイスラエルの仲介者として、神の言葉や命令を民に伝え、民を約束の地へと導きながら、その長い砂漠の旅の中で、イスラエル人たちに神への従順と信頼を教えたことはもとより、非常によく祈る人であったと、教皇は指摘された。

教皇は今回、モーセが祈る様々な場面の中でも、特に出エジプト記32章に見られるモーセの祈りを取り上げられた。

教皇のカテケーシスの要約は以下のとおり。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

キリスト教的祈りについてのカテケーシスを続けながら、今日は旧約聖書に出てくるモーセの祈りを考察しましょう。

神とイスラエル民族との間を取り次ぐ者として、モーセの祈りは取次ぎの祈りの手本ともいえます。

この事実は、出エジプト記に伝えられる「黄金の牛」の像をめぐるエピソードの中で明らかになっています。

神ご自身と語り、十戒を授けられたシナイ山から下山したモーセは、黄金で作られた偶像を礼拝するイスラエルの民の裏切りと、神の怒りという、二つの現実に遭遇します。

モーセはその時、神に憐れみを思い起こさせ 、民の罪を赦すことで神の救いの力をあらわすよう神ご自身に懇願します。

実は、モーセのこの懇願の祈りは、神ご自身が持つ神の民の救いへの願望と、契約に対する神ご自身の忠実の表れでもあるのです。

取次ぎの祈りを通して、モーセは神をますます深く認識し、同時にその憐れみをも理解します。そして、さらに自分自身を完全に捧げ尽くす、全き愛へと成長していくのです。

この祈りにおいてモーセは、彼自身をはるかに超越する完全な取次ぎ者、すなわち神の子イエス・キリストの前表とも見なされています。キリストは罪の赦しと、すべての神の子の和解のために流したその血において結ばれた、まったく新しくかつ永遠の契約をもたらしてくれました。








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