2011-02-10 18:33:42

聖ペトロ・カニジオをテーマに、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、バチカンで9日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシスで、教皇は16世紀のカトリック教会に大きな影響を与えたオランダ出身のイエズス会士、聖ペトロ・カニジオを取り上げられた。

聖ペトロ・カニジオは、1521年、オランダ・ナイメーヘンに生まれた。ケルンの大学で学び、福者ペトロ・ファーブルの霊的指導を受けた後、1543年、マインツのイエズス会に入会。1546年、ケルンで司祭に叙階され、翌年にはすでにアウグスブルグ司教の神学顧問としてトレント公会議に出席している。

1549年、聖イグナチオからドイツの使徒となるよう命を受け、教皇パウロ3世の祝福を受けたペトロは、神への愛と福音宣教への情熱に燃え、ドイツ、特にバイエルン公国に向けて旅立った。

聖ペトロ・カニジオの時代は、ルターの宗教改革期であり、ドイツ語圏にあっては改革の勢いの前にカトリック信仰の火は消えかねない状況であった。カニジオの使命は、これらの国々でカトリック信仰を再び活性化、刷新させるという、大変難しいものであった。

ペトロはインゴルシュタット大学の学部長や総長を務め、学問の向上と人々の宗教的・倫理的刷新に努力した。また、ウィーンにおいてある期間、教区の管理を担い、プラハでは、神学院を創立、イエズス会の南ドイツ管区の最初の管区長となった。

ドイツ語圏に彼はイエズス会の共同体を広げ、特に各地の神学院はカトリック改革の出発点となっていった。この頃、彼はヴォルムスでプロテスタント指導者との対話に参加しているほか、ポーランドでは教皇大使の役割を果たし、アウグスブルグの会議や、トレント公会議の最終討議にも出席している。

1580年、スイスのフリブールに移り、説教と著述に専念、1597年に帰天した。ペトロ・カニジオは、1864年、福者教皇ピオ9世により列福され、1897年、レオ13世によりドイツの二人目の使徒として宣言された。1925年、教皇ピオ11世によって列聖され、同時に教会博士として宣言された。
教皇は、聖ペトロ・カニジオの数多い著作の中でも、特に重要なものとしてその「公教要理」を挙げ、3種あるその要理本がそれぞれ異なる対象者と目標に応じて記述され、教会の教えが問答様式をもって非常に簡潔・明解に記されているという特徴を紹介。聖ペトロ・カニジオの「公教要理」はドイツで何百もの再版を重ね、彼はまさに世紀にわたるカテキスタとなったと、教皇は振り返られた。

また、教皇は、ペトロ・カニジオのどのような人に対しても教理の基本を調和と忠実のもとに伝えることができる才能、宗教的対立の時代にあっても、感情的にならずに、霊性の源泉を説き、教会の信仰を活性化させることだけを目指した、平和と愛と忍耐による宣教を思い起こされた。

教皇は、こうした聖ペトロ・カニジオの生涯全体を支えたイエスとの深い個人的な友情、彼が典礼と祈りに与えていた重要性を見つめられた。







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