2011-01-27 19:11:11

聖ジャンヌ・ダルクをテーマに、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、バチカンで26日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は教会に影響を与えた女性たちの考察を続けながら、この日は中世後期の聖女、ジャンヌ・ダルクを取り上げられた。

教皇は、ジャンヌ・ダルクとシエナの聖カタリナという二人の若い女性神秘家に、貞潔の誓願のもと、修道院の中からでなく、在俗の立場から激動の時代の教会と世界に働きかけた類似点を指摘。歴史上の複雑な状況の中に、勇気をもって福音の偉大な光をもたらしたこれらの女性たちの姿を見つめられた。

ジャンヌ・ダルクは、1412年、フランス・ロレーヌ地方のドンレミに生まれた。ジャンヌの生まれた時代、教会は一人の教皇に二人の対立教皇を抱えた大分裂にあり、ヨーロッパはフランスとイングランド間の百年戦争をはじめ、各地で争いが絶えない状態であった。

13歳の時、大天使ミカエルの声を通し、キリスト者としての生き方を強め、民を解放するようにとの神の招きを受け取ったジャンヌは、貞潔の誓いのもと、祈りと秘跡の生活を深めていった。

1429年、17歳のジャンヌは様々な障害を越え、フランス皇太子シャルル、後のシャルル7世に会った。彼女はポワティエで大学の神学者たちから審問され、良き信者と見なされた。

1429年3月、ジャンヌはイングランド王とオルレアンを包囲するその軍に手紙を記し、キリスト教徒の2民族間の正義に基づく真の平和を提案したが、それははねつけられ、同年5月、彼女はオルレアン解放の戦いに参加せざるを得なくなった。オルレアン解放後、同年7月、ランスでシャルル7世の戴冠式が行われた。ジャンヌは従軍中、兵士たちに真の福音宣教を行ったが、彼女の寛大さや勇気、その清さは多くの証言を得た。

1430年5月、敵軍の手に落ちたジャンヌは、ルーアンで悲劇的な裁判にかけられ、1431年5月、火刑に処せられた。

ジャンヌと異なる政治的立場にあった聖職者たちが彼女の人格と使命に否定的な判断を下したこの裁判を、教皇は教会の聖性の歴史の中で驚くべき悲惨な出来事として振り返ると共に、25年後、教皇カリスト3世の命による復権裁判で、ジャンヌの無実と教会への完全な忠実が証明されたことを紹介された。ジャンヌ・ダルクは、1920年、教皇ベネディクト15世によって列聖された。

教皇は、イエスの御名のもとにその生命を最後までくまなく捧げたジャンヌ・ダルクの、イエスを中心とし、イエスを愛し、信頼し、その御旨に従った生き方を、すべての人の、特に政治に関わる人々の模範として示された。

また、聖ジャンヌは多くの人々に影響を与えたが、中でもリジューの聖テレーズに及ぼした大きな影響について教皇は言及された。
 







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