2010-11-11 18:02:52

教皇、使徒的勧告「ヴェルブム・ドミニ」を発表、神のみことばをテーマにしたシノドス後の考察と提案


教皇ベネディクト16世は、11日、使徒的勧告「ヴェルブム・ドミニ」を発表された。

この使徒的勧告は、2008年10月にバチカンで行われた世界代表司教会議(シノドス)第12回通常総会(テーマ:「教会生活と宣教における神のみことば」)の内容を受けた教皇の考察と提案を記したもの。

教皇は同文書を通して、個人と教会の生活における「神のみことばの中心性」と、みことばを人類の救いのために告げる緊急性と素晴らしさを再発見するよう招いている。

そして、「聖書により親しむ」と共に、「キリスト教の真の生きた精神性の基礎は、教会において告げられ、受け入れられ、祝われ、取り次がれた神のみことばにある」ことを忘れてはならないと、すべての司牧者、修道者、信者に向けて呼びかけている。

「ヴェルブム・ドミニ」(主のみことば)と題されたこの勧告は、計200頁におよび、その構成は、
序章
第1部『神のみことば』
「話しかける神」
「話しかける神への人間の応答」
「教会における聖書の解釈学」
第2部『教会におけるみことば』
「神のみことばと教会」
「教会生活における神のみことば」
第3部『世界のみことば』
「神のみ言葉を告げる、教会の使命」
「神のみ言葉と世界における働き」
「神のみことばと文化」
「神のみことばと諸宗教対話」
終章
からなっている。

この中で教皇は、「神がしばしば不要にあるいは異質に感じられている世界において、一番の急務は、私たちがいのちを豊かに受けることができるよう、私たちに話しかけ、その愛を伝える神に、今日の人間を近づけ導くことである」と述べ、「神だけがすべての人間の心の渇きに答えることができる」と強調している。

教会におけるみことばの重要性の再発見を促した第2バチカン公会議を思い起こしながら、教皇は、教会のみことばに対する大きな崇敬の理由として、「キリスト教は単に書かれた『本の宗教』ではなく、受肉され生きた『神のみことばの宗教』である」ことを指摘している。

教皇は現代の聖書研究にも言及。歴史・評論的注釈学と神学の対立を避け、2つの解釈のレベルを一致させた、信仰と理性の調和の取れた研究を希望している。

また、「旧約聖書の啓示はキリスト者にとって価値を持ち続ける」、「キリスト教はその根源を旧約聖書に持ち、キリスト教は常にこの根から養われている」と述べた教皇は、キリスト教とユダヤ教の間にある特別な関係を忘れることはできないと記している。

同文書は、みことばと典礼の関係にも触れている。教皇はみことばの宣言に最大の注意を払うことを求めつつ、朗読者の準備、説教の質、朗読箇所の正確さなどについて検証を促している。

教皇は聖書司牧にも注意を向け、歪曲した聖書解釈や、聖書の悪用がないように、小さな共同体にも教会の正統な聖書の知識を広め、カテキスタの養成をはじめ、信徒に正しく聖書が伝わる努力を説いている。

教会と福音宣教の密接な関係を示しながら、教皇は今日を生きるすべてのキリスト者にみことばを告げる使命を思い起こさせている。そして、キリストへの信仰のために迫害されている人々を思うと共に、各国政府に信教の自由の保証をアピールしている。

さらに、より正しい世界のために働くよう人々を導き、連帯と平等を推進し、和解と平和の源となるみことばの力を教皇は説くと共に、宗教が不寛容や戦争の理由とされることが決してあってはならないと訴えている。

同勧告は、若者や移民、苦しむ人々や貧しい人々に対して、みことばをどのように伝えるべきかを考えるように招き、文化の中においてもみことばとの様々な出会いがあるようにと願っている。

一方で、みことばを文化に根付かせる上の注意点として、みことばの受け入れを容易にするという理由で福音の本質を薄めたり、インカルチュレーションのプロセスが表面的になったり、諸宗教混合的な混乱があったりしてはならないと述べている。

現代こそ、神のみことばに耳を傾ける時、新しい福音宣教の時、と述べながら、教皇はみことばに触れ、毎日をキリストとの新しい出会いとしていこうと呼びかけている。







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