2010-09-19 19:38:42

福者ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿(1801-1890)略歴


ジョン・ヘンリー・ニューマンは、1801年、英国に生まれた。

英国国教会の司祭となったが、1832年のヨーロッパ旅行の後、カトリックに対する関心を深めていった。

1841年、英国国教会の39の命題をカトリックの教義の観点から解釈する本を出版、英国国教会の主教らより、強く否定された。

その後、小教区活動を辞退し、オックスフォードに近い小さな村、リットルモアーに隠退。1842年、「キリスト教教義の発展について」を執筆。これをもってカトリック教会への回心の決心が熟した。

1848年、カトリック教会の司祭として叙階された。英国において、聖フィリッポ・ネリのオラトリオ会を初めて創立。

1854年、ダブリンのカトリック大学の学長に任命された。引き続き多くの書を記したが、その中でも「アポオロジア」ヤ「グランマティカ」が知られている。

ニューマンは、1890年、バーミンガムのオラトリオ会の自室で89歳で亡くなり、同市郊外の墓地に葬られた。

1991年1月22日、ニューマンは教皇ヨハネ・パウロによって尊者と認められた。

2001年、ニューマン枢機卿死去200年に際し、教皇ヨハネ・パウロ2世は、「ニューマン枢機卿は霊的に混乱した時代に生まれました。しかし、その中にあって、彼は信仰と理性の驚異的な調和に達しました。ニューマンにとって、信仰と理性は、真理の観想に人間精神が到達するための2つの翼のようなものでした」と記し、ニューマン枢機卿を英国的霊性の最も優れた模範として示した。
 







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