2010-08-19 18:38:27

教皇一般謁見・カテケーシス(2010.8.18)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日は私の聖なる前任者、教皇ピオ10世について考察したいと思います。聖ピオ10世の祝日は8月21日に祝われます。聖ピオ10世の遺した模範は、今日の牧者たちにとっても、信者にとっても大変有益なものです。

聖ピオ10世、本名ジュゼッペ・サルトは、1835年、北イタリア・トレヴィーゾ県リエーゼの農民の家庭に生まれました。パドヴァの神学校で学んだ後、23歳で司祭に叙階されました。その後、助任司祭、主任司祭、トレヴィーゾの司教座聖堂参事会員、神学校の霊的指導者などを歴任し、その間、後に全教会の指導者、教皇としての役割に大いに役立つこととなる豊かな司牧経験を積みました。1884年、マントヴァの司教に、そして1893年、ヴェネチアの総主教に就任しました。1903年8月4日、教皇に選出され、自分自身はその謙遜からふさわしくないと確信しつつも受諾し、教皇ピオ10世となりました。

教皇として、ピオ10世は教会の歴史に不滅の業績を残しました。「キリストの中にすべてを新たにする」という標語のもとに書かれた回勅をはじめ、教皇庁の改革、典礼の刷新、特に教会音楽の促進、神学生教育に関する基本要綱の起草、それに教会の教え、いわゆる「公教要理」の出版など、数え上げることのできないほどの偉業を成し遂げました。彼自身が主任司祭をしていた時期に製作した要理は、後にイタリア全国に広まるほど優れたものでした。後に教皇になってから編纂された要理は、今でも「ピオ10世の公教要理」として全世界に広まり、長く教会の信仰教育の基盤・支えとなりました。

また、典礼改革においても、教会の公的祈りへのより積極的な参加を呼びかけ、そのために特に、しばしば聖体の秘跡に近づくことを奨励し、子供たちの初聖体の時期もそれまでとは異なる7歳前後と制定しました。

ピオ10世教皇は、信者たちを堅い信仰の中に立たせるため、19世紀末から20世紀初頭に流行し始めた、行き過ぎた近代的な信仰理解に警告を発し、神学者たちに教会の正統な伝統に忠実に沿った信仰理解を促進するよう励ましました。

同教皇は、神の御言葉の深い研究を奨励するために、1909年5月7日、「聖書学院」を創設しました。

第一次世界大戦が次第に近づいていた1914年8月2日、兄弟が互いに憎み争う戦争を最大の努力をもって避けるようにとの、苦しめる真の父としての呼びかけを世界の人々に残し、その数日後、1914年8月20日、天の御父のもとに帰りました。

その後、ピオ10世の聖徳の誉れは、すぐにキリスト教徒たちの間に広がりました。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、聖ピオ10世教皇は、私たちのすべての使徒職や様々な分野での働きは、常にキリストとの親密な一致にあるべきということを教えてくれます。これこそ、彼の教えの中心です。私たちが本当に心の底からキリストを愛し、キリストにとらわれている時はじめて、人々を神のもとに導き、世界を神の憐れみに開くことができるのです。







All the contents on this site are copyrighted ©.