2010-03-23 17:11:52

教皇「愛というより大きな正義のために、罪に厳しく、人に寛大に」


教皇ベネディクト16世は、バチカンで21日、日曜正午の祈りを巡礼者らと共に唱えられた。

集いの説教で、教皇はこの日のミサの福音朗読箇所、ヨハネ福音書(8,1-11)の「姦通の女」のエピソードを取り上げられた。

このエピソードでは、神殿で教えているイエスの前に姦通で捕らえられた女性が連れてこられる。ファリサイ派の人々は「モーセの律法では、姦通を行った女は石で打ち殺せとあるが、あなたはどう考えるか」とイエスに問う。これは罪びとに対する判断を委ねるふりをしながらイエスを試し、訴えるきっかけを作るためであった。

教皇は、イエスは人の心に何があるかを知っておられ、罪を非難しながらも、罪びとを救い、人々の偽善を暴くことを望んでおられると述べられた。

ファリサイ派の人々が問い続ける間、イエスはかがんで地面に指で何かを書き始められた。聖アウグスティヌスがこの行為をイエスが神の立法者であることを示すものとして注目していることを教皇は紹介。

立法者であると同時にご自身そのものが正義であるイエスが、姦通の女に下した判決とは、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」というものであった。

教皇は、イエスのこの言葉にみなぎる、偽善の壁を打ち倒し、良心と、愛というより大きな正義に人々を開かせる静かな真理の力を指摘。

女を訴えていた者たちが一人また一人と去った後、イエスは「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからはもう罪を犯してはならない」と言った。教皇は、罪を赦すと同時に、新しい人生に導くこの言葉を深く観想された。

私たちに善といのちだけを望まれる神は、赦しの秘跡を通して私たちを悪から解放し、魂の健康を返してくださると教皇は述べ、この司祭年にあたり司牧者らが信徒たちに赦しの秘跡の意味と素晴らしさを伝え、彼らが神のいつくしみ深い愛に癒されるようにと願われた。
また、自分の罪はもとより、罪に対して妥協しない一方で、隣人を裁き罪に定めないことをイエスから学ぶよう、すべての信者を招かれた。
翌週28日(日)は、ヨハネ・パウロ2世による世界青年の日の制定から25周年にあたることを思い起こされた教皇は、これを記念して25日(木)に行われるローマとラツィオ州の若者の集いに多くの参加を呼びかけられた。







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