2010-03-03 18:35:27

聖ボナヴェントゥーラをテーマに、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、3日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は中世の教会の考察として、フランシスコ会員で、優れた神学者であった聖ボナヴェントゥーラを取り上げられた。

ボナヴェントゥーラを若い頃に研究された教皇は、同聖人の思想・神学がご自分に与えた影響や、同聖人の故郷バーニョレジョを昨年訪問した際の喜びなどに言及された。

聖ボナヴェントゥーラ(ジョヴァンニ・ダ・フィダンツァ1217年頃-1274)が生きた13世紀は、ヨーロッパの文化と社会にキリスト教が深く浸透した時期であり、こうした時代に、行動と観想、深い憐れみと賢明さの人として信仰と文化の調和を体現した同聖人の生涯を教皇は振り返られた。

ジョヴァンニ少年(後のボナヴェントゥーラ)にとって、子どもの頃重い病にかかり、アッシジの聖フランシスコの取次ぎで全快したという出来事は、後の人生に大きな影響を与えることとなった。

フランシスコ会士たちの福音に忠実な生活に感銘を受けていた彼は、パリで勉学中、同地のフランシスコ会に入会を希望、1243年、会員となった。ヨーロッパ中の教師と学生で活気づいていたパリで聖書と神学を探求し、深い思索と優れた霊性を育み、やがて教会史に残る偉大な神学者の一人として成長していった。彼の生活と教えの中心は常にキリストにあった。

当時のパリの大学ではフランシスコ会とドミニコ会の托鉢修道会の会員らが教えることに抵抗を示す風潮もあったが、これは托鉢修道会によってもたらされた宗教生活上の変化があまりにも革新的であり、まだすべての人がそれを理解していなかったためと教皇は説明された。こうした中、ボナヴェントゥーラは「福音的完徳」を記し、托鉢修道会の清貧・貞潔・従順は福音の精神そのものを生きることであると説いた。

ボナヴェントゥーラは1257年正式にパリ大学の博士・教授となったが、同年フランシスコ会の総長に選ばれた。彼は17年にわたりこの任務のため賢明と熱心をもって献身し、3万人にも上る会員を擁し、世界に宣教するまでに発展した会を支えた。

ボナヴェントゥーラは、聖フランシスコの真のカリスマと教えを伝える必要性を感じ、同聖人の生前を直接知る人々の話を聞き、多くの資料をまとめ、その伝記を著したことでも知られる。

1272年にボナヴェントゥーラは教皇グレゴリオ10世から司教・枢機卿に任命され、リヨン公会議の準備を命じられた。彼は公会議で熱心な働きをし、エキュメニカルな目標のためにまい進したが、その結果を見ることなく公会議中に帰天した。

教皇はこのように、その優れた人徳、才能をすべて神と人のために捧げきった聖ボナヴェントゥーラの生涯を見つめられた。







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