2010-02-18 17:17:01

「恵みの時、回心の時として四旬節を歩もう」教皇、灰の水曜日の一般謁見で


教皇ベネディクト16世は、バチカンで17日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

教会暦はこの日「灰の水曜日」を迎え、復活祭前の精神的な準備期間「四旬節」に入った。

四旬節とは、復活祭前の祈りと償いの期間で、「灰の水曜日」に始まり、復活祭の主日まで、日曜を除いて40日間続く。この間、信者は祈りや償いに励み、キリストの復活の大祝日をふさわしく迎えることが出来るよう、精神的な準備をする。

一方、四旬節の開始を告げる「灰の水曜日」とは、復活祭前46日目の水曜日。この日は、死と痛悔の必要を思い出すために各人の頭に灰をのせることから、この名で呼ばれる。
謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は「恵みの時・回心の時」としての四旬節に焦点をあてられた。

「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。…今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(2コリント 6,1-2)という聖パウロの言葉を引用しながら、教皇はキリスト者にとって毎日の生活が恵みの時、救いの日であるが、四旬節においてこの言葉は教会の典礼の中で特別な響きを持っていると述べられた。

そして、復活祭に向けての40日の歩みが大いなる恵みの時であることを、灰の水曜日の儀式の二つの式文を通して解説された。

「悔い改めて福音を信じなさい」という一つの式文は、回心を強く呼びかけている。教皇は、回心とはわたしたちの生活にありがちな安易で表面的な生き方を告発し、悪や生ぬるい道徳心に隷属していた人生の方向性を一転させるものであると説かれた。

回心によって人は、生ける福音、イエス・キリストに自らを完全に託し、その光に照らされ、その力に支えられながら歩むことになり、キリストによって、人は愛というより大きな正義に入ることになると教皇は強調。しかし、自分自身から解放され、心をキリストに明け渡すには「謙遜」が必要とも述べられた。

また、「人よ、あなたは塵(ちり)であり、また塵に返るということをおぼえていなさい」と言う、第二の古い形式の式文について教皇は、原罪を犯したアダムに対する神の言葉、「お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵に過ぎないお前は塵に返る」(創世記3,19)を思い起こさせ、人間のはかなさと死を考えさせるものと話された。

しかし、この塵に過ぎない人間も神の目には大切なものであると教皇は指摘。神は「新しいアダム」であるキリストの十字架上の死と復活の栄光を通して、人を新しい命に参与させると説かれた。

灰の水曜日、額に灰を乗せるという典礼上の小さな行為の持つ豊かな意味を説明された教皇は、キリストの死と復活における過ぎ越しの神秘を深く心に留め、四旬節を歩むようすべての信者を招かれた。

同日の午後、教皇はローマ市内の聖サビーナ教会でミサを捧げられ、この中で伝統の「灰の式」をとり行われた。







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