2010-02-02 18:39:42

聖母祝日の教皇説教特集1:無原罪の聖マリア


カトリック教会の典礼暦は、12月8日、無原罪の聖マリアの大祝日を記念する。

この大祝日は、「聖母マリアが、神の特別な恩恵と特典によって、その母の体内にやどった瞬間において、原罪のすべての汚れから守られた」ことを祝うもの。

毎年、無原罪の聖マリアの日に、教皇はローマのスペイン広場の聖母像前で、献花と祈りをとり行われる。

2009年度の同祝日、教皇ベネディクト16世は、聖母と街の関係を観想する次のような説教を行われた。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

キリスト教国の多くの都市の街角、教会やチャペル、建物の壁面には、しばしば聖母マリアのご像やご絵が飾られています。聖母はその控えめな姿を通して、皆に平和を、また喜びの時や悲しみの時には希望を与えてくれます。ここスペイン広場にも高い柱の上に聖母像が置かれ、ローマの街を見守っているかのようです。

聖母マリアは街に何を語りかけたいのでしょうか。その姿をもって皆に何を思い起こさせたいのでしょうか。聖母は、使徒パウロがローマの教会に宛てた手紙の第5章20節で述べている「罪が増えたところには、恵みはさらにいっそう豊かになりました」ということを思い起こさせてくれるのです。

聖母マリアは、無原罪の御母です。今日の人々にも「恐れないでください、イエスは悪に打ち勝ったのです。私たちを悪の支配から解放してくれたのです」と繰り返します。

私たちはこのすばらしい知らせをどれほど必要としていることでしょう。毎日、新聞やテレビ、ラジオを通して様々な悪が繰り返し報道されます。こうして私たちは恐ろしい事柄にも慣らされ、無感覚になり、ある意味で 中毒になってしまいます。なぜなら悪いことは完全に消え去るどころか、日に日に溜め込まれていくからです。心は硬くなり、思考は曇っていきます。ですから、街は、その存在を通して神を語り、罪に対する恵みの勝利を思い起こさせ、そして最も困難な状況の中にあっても希望するよう導いてくれる聖母を必要としているのです。

街の中では目には見えない人々が生き、生き残ろうと、もがいています。時々彼らも新聞の第一面やテレビの画面に現れることがあります。それらのニュースや映像が人々の興味を引く限り、最後の最後まで利用し尽くされます。それは容易に抵抗できない邪悪なメカニズムと言えましょう。都会は、それを初めは隠し、その後、世間に公表します。憐れみなしに、また時には偽りの憐れみを込めて。しかし、誰でも人は一人の人間として受け入れられ、聖なる現実として認められることを欲しています。なぜなら、いかなる人の歴史も聖なる歴史であり、最高の尊敬を要求するからです。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、街とは私たち自身のことです。一人ひとりが善しにつけ悪しきにつけ、街そのものの生命と倫理感に貢献します。私たちのうち、一人として他人を裁く権利はありません。むしろ各自が自分自身をよいものとしていく義務があることを自覚すべきです。

今日のマスメディアは、悪というものはすべて他人に関わることで、自分には決して起こらない何の関係もないことだ、自分は単なる傍観者にすぎないのだとの印象を与えてしまいます。しかし、実は、私たちは善においても悪においても、皆当事者なのです。私たちの態度は、一つひとつ、いかなるものも他人に対して影響力を持っているのです。

私たちはしばしば大気汚染について嘆きます。確かに都会のある場所ではもう呼吸さえ困難です。そうです、街を浄化するためには、すべての人々の努力が必要です。

しかし、また別の意味での汚染も存在します。感覚的にはあまり感じませんが、それは大変危険なものです。それは精神の汚染です。それは私たちの顔から微笑を奪い取り、暗くします。それによって人々はお互いに挨拶をしなくなります。目と目を合わすことも避けるようになります。

街は多くの顔によって成り立っています。しかし、残念ながら、街の集合性は一人ひとりの顔の深い認識を失わせます。すべては表層的にしか見えなくなります。人は単なる身体となり、この身体は魂を失い、物となります。顔のない一個の物体、取替え可能な消耗品に成り下がってしまうのです。

無原罪の聖母は、人間存在の奥深さを守り、再発見するのを助けてくださいます。なぜなら、彼女の中には肉体の中における霊魂の完全な透明性があるからです。彼女は、清さそのものです。なぜなら彼女にあっては、霊魂もその身体も互いに神のみ旨と完全に一致しているからです。

聖母マリアは、神の働きに自分自身を開くよう、また神が見るように私たちも人々を見ることができるよう、心から出発するようにと教えてくれます。そして、特に最も孤独な人々、軽蔑され搾取されている人々を憐れみと愛と無限の優しさをもって見守るようにと教えるのです。「罪が増したところに、恵みもあふれ出ました」。

沈黙の中に、言葉ではなく、行いによって、この愛の福音的掟を実行しようとする人々を褒め称えたいと思います。ニュースにこそ取り上げられませんが、このローマにもそういう人々は確かにいるのです。それは、断罪し、嘆き、訴えるだけでは何の役にも立たない、むしろ善によって悪に答えようと理解したあらゆる年代の人々です。これらの人々は物事や人間を変えていきます。その結果、社会もよくなるのです。

親愛なるローマ市民の皆さん、毎日の生活を続けながら、聖母マリアの声に耳を傾けましょう。静かでいて、心を打たずにはおかない聖母の呼びかけに耳を傾けましょう。聖母は私たち一人ひとりに「罪があふれたところに、恵みもまたあふれ出るのです。それはあなたの心、あなたの生活から始まるのです」と伝えます。街はもっと美しく、もっとキリスト教的に、もっと人間的になることでしょう。

聖なる母よ、あなたのこの希望のメッセージに感謝します。また、私たちの町の中心に静かに、しかしはっきりとしたメッセージを込めていつもおいでくださることに感謝します。

無原罪の聖母、「ローマ人の救い」、私たちのためにお祈りください。







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