2009-10-22 18:17:08

クレルヴォーの聖ベルナルドを考察、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、バチカンで21日、水曜恒例の一般謁見を行なわれた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は中世の神学者の考察として、クレルヴォーの聖ベルナルド修道院長教会博士を取り上げられた。

クレルヴォーの聖ベルナルド(ベルナール)は、12世紀の教会に偉大な教父たちの教えを再び生き生きと蘇らせ、「最後の教父」とも呼ばれた。

聖ベルナルドは、1090年にフランス・ディジョンのフォンテーヌに生まれた。20歳頃、シトー会に入会。1115年、クレルヴォーに新しい修道院を創立するよう派遣された。25歳の若い大修道院長は、修道生活に対する自分なりの概念を深め、それを実践に移していった。こうしてクレルヴォーの共同体は次第に大きく発展していった。

この時期、ベルナルドは当時の要人から貧しい人々に至る多くの人々に手紙を送っている。彼はこれらの「書簡集」に加え、多くの「説教集」を残した。

1130年以降、ベルナルドは教皇庁と教会の多くの重大な諸問題を任され、しばしば使徒職のため修道院やフランス外での活動も余儀なくされた。男子修道院のほかに、いくつかの女子修道院をも設立。クリュニーの尊者ピエールとの書簡の交換、また神学者アベラールの誤りに対する反ばくでも知られる。

さらに、ベルナルドは異端カタリ派と闘う一方、広がりつつあった反ユダヤ主義を非難した。

神と人々のためにその生涯を捧げ尽くした聖ベルナルドは、1153年に帰天した。

教皇は聖ベルナルドの徹底的にキリストを中心に据えた教えと、その中に顕著な深い観想性・神秘性を指摘。

「ただイエスだけが、口への蜜、耳への賛歌、心の喜び」と表現したベルナルドは、イエス・キリストへの「蜜のごとく流れる」賛美ゆえに、「蜜の流れるごとき博士」と呼ばれたことなどを紹介された。

また、ベルナルドの聖母に対する熱い信心にも教皇は注意を向けられた。

そして、ベルナルドはキリストの十字架上での犠牲を聖母マリアがいかに密接に体験したかを情熱的に観想し、神の救いの計画におけるマリアの重要な役割を認識しつつ、「マリアを通してイエスに」人々が近づくことができると確信していたと話された。

聖書と教会の教父たちに深く根ざした聖ベルナルドの教えは、神への信仰、祈りと観想、主との親密なつながりなくしては、神の神秘の考察は単なる知的作業となってしまうことを私たちに思い出させると教皇は述べ、「議論よりも、祈りによって」人は神をよりよく求め、見出すことができると話された。







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