2009-10-14 17:34:30

チェコ、ブルノでのミサ、教皇説教(2009.9.27)


「重荷を負って苦労している者は皆、私のもとに来なさい。休ませてあげよう」 (マタイ 11,28)。イエスはそのすべての弟子を、自分と共にあって、彼の中に慰めと支えと安らぎを見出すよう招いています。主はこの招きを、特に今日、聖ペトロの後継者教皇を囲んでこのミサにあずかる共同体、皆さんの教会共同体全体に向けています。

親愛なる友人の皆さん、私は今日のこのミサのテーマとして喜んで「希望」を選びました。私はこの愛する国の人々、ヨーロッパ、自らの未来を託すための確固とした何かに飢えている全人類のことを考えてこのテーマを選びました。

私の第2番目の回勅「希望による救い」において、私は「確かで」「信頼できる」唯一の希望は、神に基づくものだということを強調しました。歴史は、人類がその行動と選択から神を除外するなら、どれほどの矛盾に落ち込み、善と正義と兄弟愛に基づく社会を築くのがいかに困難になるかということをその体験から示しています。なぜなら、人間は自由であって、その自由はもろいものだからです。自由は絶えず善のために獲得されねばならず、簡単とは言えない正しい秩序の探求をいつの時代にも心がけなければならないのです。

親愛なる友人の皆さん、ですから私たちは、何よりもまず希望へと導く正しい道を私たちに示してくれる言葉に耳を傾けねばならないのです。私たちは確実な希望を与えることのできる唯一の言葉に耳を傾けます。それこそ神のみ言葉だからです。

今日のミサの第一朗読において、預言者はすべての苦しむ人々、貧しい人々に、解放と自由と慰めと喜びを伝える使命を持つ者として示されています。この使命をイエスはその説教の中で自分自身に当てはめ、預言者の約束がイエス自身の中で実現したとはっきりと言っています。この約束はイエスが十字架上で死にそして復活した時に完全に成就しました。主はこうして、私たちを利己主義と、悪と罪、そして死の隷属から解放されたのです。これこそ救いの告知です。教会が世々にわたって告げ知らせる、古くて同時に常に新しい知らせです。 十字架につけられそして復活されたキリストは人類の希望そのものです。

この希望の言葉は、今日もこのミサ聖祭において力強く響き渡ります。イエスは愛を込めて、この祝福された国、千年以上も前に福音の種子が撒かれた地の息子、娘である皆さんに向かわれます。皆さんの国も他の国々と同様に、信仰や希望についての根本的な挑戦が迫られています。事実、信仰にせよ希望にせよ、現代では一種の「移動」を余儀なくされなくなりました。信仰や希望はすべて個人的なレベルに移され、具体的な生活や公的な面では科学や経済の発展に対してより大きな信頼が寄せられるようになってしまいました。

私たちは皆、この種の進歩発展にはプラス面とマイナス面が同時に内在していることを知っています。技術の進歩や社会組織の改善は重要ですし、また確かに必要でもあります。しかし、社会の健全な幸福を実現するためには、それだけで十分とは言えません。人間は物質的な圧迫から解放される必要があります。そればかりではなく、精神を苦しめる悪から徹底的に救われなければなりません。イエス・キリストにおいてその全能、憐れみの父としての御顔を啓示された、愛そのものである神以外、いったい誰が救うことができるのでしょうか。ですから私たちの確かな希望はキリストなのです。

神はキリストにおいて私たちを最後の最後まで愛し、すべての人が時には自分では意識していないにしても享受することを望んでいる、あの生命をあふれるほど豊かに与えてくれるのです。「重荷を負って苦労している者は皆、私のもとに来なさい。休ませてあげよう」。ブルノのカテドラルの扉に大きく書かれたイエスのこの言葉を、今イエスは皆さん一人ひとりに語りかけます。彼のこれほどの愛に無関心でいられるでしょうか。

ここでは他の場所と同様に過去数世紀、福音に忠実であるために大変苦しみました。けれども決して希望を失うことはありませんでした。そして多くの人々がキリストに寛大に従うことの中に、新しい人類を造り上げるための力を見出し、人間に尊厳と自由を取り戻すために自らを犠牲としました。現代社会においても、孤立から、愛されてないことから、神の拒否から、自分自身で十分だと思う人間の閉鎖性から、様々な形の貧困が生まれ出てきています。ただ人間的なものにだけ信頼を寄せる疎外されたこの世界にあって、ただキリストだけが私たちの確かな希望であり得るのです。これこそ、私たちが毎日の生活の証しを通して人々に伝えるべく呼ばれている、よき知らせです。

親愛なる司祭の皆さん、イエスに信頼する者には何も欠けることがないと確信し、熱意を込めて司祭職を遂行しながら、イエスにしっかりと一致し、この真実を告げ知らせてください。 

親愛なる修道者・修道女の皆さん、福音的勧告を忠実に喜びを持って実行することによって、天にある私たちの本当の祖国はどんなものであるかを示しながら、キリストを証ししてください。

親愛なる若者たちと大人の皆さん、親愛なる家族の皆さん。あなたたちの家族、仕事、学校、あらゆる社会活動の基盤をキリストに対する信仰に置いてください。イエスは決してその友人を見捨てません。キリストは必ず助けを与えます。なぜなら、キリストなしでは何もできないからです。しかし、同時にキリストはすべての人にご自分の愛と平和の普遍的なメッセージを広める努力をするよう要求しています。

スラブ民族に福音を伝えたモラヴィアの保護者聖チリロと聖メトジオ、また皆さんのカテドラルが奉献されている聖ペトロ、聖パウロの模範が皆さんを励ましてくれますように。

家庭の母であり信心と憐れみの業に富んでいた聖ディスラーヴァ、司祭殉教者聖ヨハネ・サルカンデル、この教区で生まれ100年前に列聖された司祭修道者聖クレメンス・マリア・ホバウエル、ブルノで生まれウィーンでナチスに殺害された修道女福者レスティトゥータ・カフコーヴァたちの輝かしい証しを見つめてください。

私たちの希望、キリストの御母、聖母マリアがいつも皆さんと共にいてくださいますように。
 







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