2009-09-30 14:49:01

プラハ「勝利の聖母教会」教皇講話(2009.9.26)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

「プラハの幼きイエス」として世界中に知られるご像のある「勝利の聖母教会」を、今日訪問できたことを大変嬉しく思います。大司教、プラハ市長、行政関係者をはじめ、ここに集った多くの家族の皆さんの温かい歓迎に感謝します。

幼きイエスのご像は、神のみ言葉の受肉の神秘を直ちに私たちに連想させます。全能の神は人となり、30年間、神の摂理のもと、ナザレの家庭で聖母マリアと聖ヨゼフの心のこもった養育に託され生活しました。私たちの思いは、また皆さんの家族、世界中のすべての家族に、そしてこれら家族が抱える喜びや困難にも向かいます。この思いに、祈りを合わせましょう。すべての家族のため、幼きイエスに家庭の一致と平和の恵みを祈り求めましょう。特に、子どもたちに安定した生活と尊厳ある未来を築くために苦労している若い家族のことを考えましょう。病気や苦しみに見舞われ、困難に遭遇している家族のために祈りましょう。不一致や夫婦間の不誠実のために分裂し、引き裂かれ、危機に瀕している家族のためにも祈りましょう。人類の未来と社会の真の発展のために、安定した家庭がどれほど重要であるかを私たちはよく知っています。ですから、すべての家族をプラハの聖なる幼きイエスに託しましょう。

幼きイエスのご像は、その姿の幼さ,愛らしさによって、神が私たちの身近におられるということ、さらにその愛を私たちに強く感じさせてくれます。私たちは神の御目に自分がどれほど貴重であるかを理解しています。なぜなら、まさしくイエスのおかげで、私たちは皆神の子となれたのですから。すべての人間は神の子です。ですから、また兄弟でもあるのです。私たちはすべての人を自分の兄弟として受け入れ、尊重しなければなりません。この事実を現代社会が心底から理解しますように。誰であっても、人間は何を持っているかではなく、何であるかによって価値判断されるべきです。人種や文化の区別なく神の似姿が輝いているのです。

これは特に子どもたちについても言えることです。プラハの聖なる幼子の中に、子どもたちの美しさ、福音書の中に語られている、イエス・キリストがいつも小さい者たちに対して抱いていた特別な愛を観想します。

しかし、今日どれほど多くの子どもたちが愛されず、受け入れられず、尊重されていないことでしょう。どれだけの子どもたちが暴力の犠牲となり、良心のかけらもない人々から搾取されていることでしょう。子どもたちには彼らにふさわしい尊重と関心が向けられるべきです。なぜなら、子どもたちこそ人類の未来そのもの、人類の希望であるからです。

親愛なる子どもたち、私は今皆さんと皆さんの家族に特別にお話したいと思います。私に会うためにこれほどにも多くの子どもたちが来てくれました。 皆さんに感謝します。皆さんは幼きイエス様から心から愛されています。ですからあなたたちも幼きイエス様に心からの愛をお返ししてください。幼きイエス様のように、素直で、親切で、愛情深くなってください。幼きイエス様のように、お父さんやお母さんの慰めとなってください。イエス様の本当のお友だちとなり、イエス様にいつも信頼してください。皆さん自身のために祈りなさい。またお父さんやお母さん、先生やお友だちのために、そして私のためにも祈ってください。

皆さんの歓迎に感謝すると共に、心からの祝福を送ります。そして同時に、すべての人々のために、聖なる幼きイエスと汚れなき聖マリア、聖ヨゼフの保護を祈ります。







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