2009-09-24 17:59:55

聖アンセルモを考察、教皇一般謁見


教皇ベネディクト16世は、バチカンのパウロ6世ホールで23日、水曜恒例の一般謁見を行なわれた。

この日、謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は今年帰天900年を迎えた偉大な司教教会博士、聖アンセルモを取り上げ、その生涯を振り返られた。

聖アンセルモは、1033年(または1034年初期)にイタリア・アオスタの貴族の長男として生まれ、敬虔な母の感化を受けて育った。15歳でベネディクト会に入会を望んだが、父の強い反対により実現しなかった。母の死後、学業を怠り、地上的な楽しみに傾いた時期があったが、やがて家を出てフランスをめぐり、ノルマンディーのベックにあるベネディクト会修道院の高名な院長ランフランクのもとを訪れた。ランフランクを師として再び学問に取り組んだ彼は、瞬く間にその才能を現した。27歳でベネディクト会に入会し、司祭に叙階された。

1063年、わずか3年の修道生活の後、アンセルモはランフランクの後継者としてベックの院長に、1079年には大修道院長に選ばれた。彼は若い修道者たちに権威的ではなく、人間的に接し、注意深くその成長を助けた。

カーンの大修道院長を務めていたランフランクがカンタベリー大司教になると、アンセルモをカンタベリーに一時期招き、修道者たちの教育や、ノルマン人侵略後の教会の困難な状況の建て直しに協力を求めた。ランフランクの死後、1093年、アンセルモはカンタベリー大司教となった。

当時イギリスでは、聖職者の叙任権や教会財産の問題など、教会に対する権力者からの介入が絶えず、アンセルモはさっそく教会の自由を獲得するための精力的な闘いに取り組み、地上の権力からの教会の独立を勇気をもって主張した。こうした努力とローマ教皇への忠誠は、彼に大きな犠牲を払わせることにもなった。時の権力者から疎まれた彼は、1103年、カンタベリーから追放され、再び同地に戻ることができたのは、3年後の1106年であった。

教会と政府間の問題は解決し、アンセルモは忍耐と勇気と優しさをもってこの闘いに打ち勝った。晩年は特に聖職者の精神的育成と神学研究に邁進し、1109年に帰天した。

こうした聖アンセルモの生涯を回想した教皇は、スコラ神学を創始し、神の神秘を知ろうとするその情熱ゆえに「偉大なる博士」と呼ばれた彼の教えを解説された。

聖アンセルモの思想の明解さと論理的厳密さは「神の観想に心を上げる」ことを常に目的としていたと教皇は述べ、アンセルモが神学を学ぶ者に対し、自分の知性だけに頼らず、同時に深い信仰の体験を育てる必要を説いていた点を示された。

聖アンセルモの神学活動は、神からの無償の贈り物として謙虚に受けるべき「信仰」、神のみ言葉を生活の中に息づかせる「経験」、そして理詰めではなく、観想的な直感の実りとも言える真の「知識」の3段階からなることを教皇は紹介。

そして、「信じるために理解するのではなく、理解するために信じる」と言った聖アンセルモの言葉は、今日も健全な神学研究と、信仰の真理を追求するすべての人に通じると話された。







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