2009-08-18 18:19:24

聖母被昇天:教皇、カステルガンドルフォでミサ


教皇ベネディクト16世は、聖母の被昇天を迎えた15日、カステルガンドルフォでミサを捧げられた。

この朝、ミサがとり行われたサン・トンマーソ・ダ・ヴィッラノーヴァ(ヴィラノヴァの聖トマス)教会は、教皇離宮前の広場に面した17世紀の教会で、ベルニーニの設計によるもの。

ミサの説教で、救いの歴史における聖母マリアの役割を見つめられた教皇は、神の創造のご計画の中で、本来人間は無原罪のマリアの清さと美しさを持つはずであったが、罪によって傷つきながらも完全に壊れてはいないその計画は、マリアを通して告げられ実現された神の御子の受肉によって取り戻され、信仰のうちに人間に再び与えられたと説かれた。

典礼暦の中で数ある聖母の祝日の中でも、聖母の被昇天は、主キリストに倣いそのみ言葉に従いながら、地上の旅の末に到達すべき目的地に思いをはせるよう私たちを招いていると話された。

教皇は受胎告知後のマリアがエリザベトに会うために「急いで山里に向かった」(ルカ1,39)ことに注目し、聖霊に動かされたマリアにとって自身の召命に従うことは、直ちに自分の家を出て、神だけに導かれた新しい道を歩むことであったと強調。

「マニフィカト」の精神のうちに、辛い時も苦しい時も神の愛のご計画に従い、神の手に完全に自身をゆだねて、神に向かって高く歩み続けたマリアは、教会の信仰の象型でもある(教会憲章64-65)ことを指摘しながら、その全生涯が神に向かっての上昇、観想、従順、信頼、希望であった聖母の、神以外の何物も最重要ではなかったその「聖なる急ぎ」を深く観想された。

人類の歴史は善と悪の絶え間ない戦いであり、時に荒れた海の旅のようであるが、マリアは私たちを御子イエスに導く星、私たちに必要な希望を与えてくれる存在であると教皇は述べ、聖母が与えるもの、それは「神は勝利され、私たちは洗礼を通してその勝利の中に入った」「神は私たちを助け、導いてくださる」という希望であり、この希望を私たちは被昇天のマリアの中に見ることができる、と話された。







All the contents on this site are copyrighted ©.