2009-04-30 17:45:35

教皇一般謁見・カテケーシス要約(2009.4.29)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

東西教会における中世のキリスト教著作家をテーマとしたカテケーシスで、今日はコンスタンティノープルの司教、聖ゲルマヌスを考察しましょう。彼の祝日は東方教会では5月12日に記念されます。

紀元717年、コンスタンティノープルがサラセン軍に包囲された中、 ゲルマヌスは、神の御母聖マリアのご絵と聖十字架の遺物を掲げ、神のご加護を願う行列を指導しました。包囲が解かれた時、それは人々の信心に対する神の答えだとゲルマヌスは確信しました。

しかしながら、その後、東ローマ帝国皇帝レオーン3世は聖像破壊運動に走りました。ゲルマヌスは皇帝のこの動きに公に力強く反対しました。その結果、730年、総主教職から引退を余儀なくされた彼は、自ら修道院にこもり、そこで死にました。 しかし、彼は人々の記憶から消し去られたわけではありません。聖像崇敬が公式に承認された787年の第二ニケア公会議において、ゲルマヌスの名は公に賞賛を受けたのです。

ゲルマヌスの書いた書物には、教会と神の御母への燃えるような愛が満ち溢れています。彼の著作は東西両教会の信者たちの信心に多大な影響を残しました。

ゲルマヌスは荘厳で美しい典礼の促進にも力を入れました。

また同時に彼のマリア論における鋭い洞察力もよく知られたところです。ゲルマヌスは聖母マリアの奉献と御眠りの祝日の説教において、聖母の徳とその使命を賞賛しています。

ゲルマヌスは聖母マリアの肉体的な不腐敗性の根拠を聖母の処女的母性に見ていますが、この理論は後に教皇ピオ12世によって聖母の被昇天に関するその使徒憲章の中に取り入れられています。

聖ゲルマヌスの取次ぎによって、私たちも教会への愛と、神の御母聖母マリアに対する信心をますます新たにしていくことができるよう祈りましょう。







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