2009-04-28 18:33:12

教皇、イタリア中部地震被災地へ、市民と共に祈る「早期復興と連帯の持続を」


教皇ベネディクト16世は、28日、中部イタリア地震の被災地アブルッツォ州を訪問された。

4月6日に中部イタリアで発生した地震は、アブルッツォ州都ラクィラと周辺市町村を中心に300人近い犠牲者を出し、3万人以上が家屋を失う深刻な惨事となった。教皇は地震の犠牲者や負傷者のために祈られると共に、被災地への訪問を強く希望されていた。

被災地訪問の朝、イタリアは強風を伴う悪天候に見舞われ、教皇は予定されていたヘリコプターではなく、車で現地に向かわれた。

教皇が最初に訪れたオンナ村は、今回の地震で最も大きい被害を受けた地区の一つ。家屋の大半が崩壊、住民およそ400人の同村で、39人が犠牲となった。

雨の中、テント村で市民とお会いになった教皇は、不便と不安の伴う避難生活を送る人々にいたわりの言葉をかけられ、犠牲者のための祈りを捧げられた。

教皇は辛い試練に直面した市民たちの勇気と尊厳、信仰に深い感動を表明され、困難に負けない人々の精神に、「グラン・サッソ(アペニン山脈中の山塊の名)の向こうにはまだ多くの日々がある」という地元の先人たちの言葉を思い起こされた。

また、イエスの十字架上の死に深い失望を抱いていた弟子たちと共に、イエスがそうとは知られずに一緒に話しながら歩いていたという、ルカ福音書の「エマオの弟子」のエピソードを引用されつつ、「死に復活された主は共におられ、人々の叫びに耳を傾けられる」と、被災者らを励まされた。

続いて教皇は、ラクィラ市内に向かわれた。

同市のシンボルの一つで、市民の信仰生活のよりどころとなっているコレマッジョ聖堂は、このたびの地震で、本廊と翼廊の交差部が崩壊・落下し、内陣も大きく損傷した。ただし、同聖堂の創立者、教皇聖チェレスティーノ(ケレスティヌス)5世の聖遺物は無事だった。

教皇は教会関係者や消防隊員らの説明を受けながら聖堂の一部に入られ、聖チェレスティーノ5世の聖遺物の前で祈られると共に、ご自分のパリウムを寄贈された。このパリウム(細長い帯状の肩衣)は、ベネディクト16世が4年前の教皇職開始の着座式で使用されたもので、この行為を通して、教皇はラクィラに息づく信仰の歴史への敬意と、地元の人々への精神的一致を表された。

地震で完全に崩壊した市内の学生寮では、8人の若者が犠牲となった。この跡地で、教皇は元寮生の大学生らとお会いになり、一人ひとりの言葉に耳を傾け、勇気付けの言葉をおくられた。

そして、教皇は今回の災害の救援本部が置かれたラクィラ郊外コッピトの税務警察署において、市民をはじめ、被災市町村の行政責任者、司祭や修道者、救助隊員やボランティアらとの出会いを持たれた。

教皇は「危機における連帯は、灰の中に隠された火のようなもの」であり、高度な
市民的・キリスト教的感情、社会の成熟度を測る物差しでもあると述べ、その重要性を強調、被災地の支援に関わるすべての人々に深い感謝を表された。

キリストの死と復活を記念した私たちは、神の御言葉に新しい光を見出しながら、この悲しい出来事にも人々が神への信頼と希望を失わないようにと祈ったと教皇は話され、この希望と共に、社会がそれぞれの責任を明確にすることで、「ラクィラ(鷲の意)は、再び飛ぶことができる」と励まされた。

教皇は同地方で崇敬されているロイオの聖母に地震の犠牲者と被災市民を託して祈り、聖母像の足元に金の薔薇を捧げられた。







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