2009-04-11 17:56:52

十字架の道行き:教皇の説教(2009.4.10)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

福音記者聖マルコは、あの劇的なキリストの受難の物語の終わりにこのように記しています。「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った」 (マルコ15, 39)。十字架刑の執行の流れを追っていたこのローマ兵の信仰告白に、私たちは驚かされます。歴史上ただ一つのこの金曜日、夜の闇が落ちる頃、十字架刑はすでに終わって、人々はユダヤ人の過ぎ越しを規定どおり祝うために家路を急いでいます。ローマ軍の名もない一人の指揮官の口から出たわずかな言葉が、あの非常に特殊な死を前に、沈黙の中に響きました。これまで多くの死刑執行に立ち会ったであろうこのローマ軍の将校は、十字架上で最も悲惨な死に方をしたこの人に中に神の子を認めました。この人の恥辱に満ちた最期は、愛といのちに対し、憎しみと死の勝利を記すはずでした。しかし、そうではなかったのです。ゴルゴタの丘の上には、十字架が立ち、一人の人がその上で既に息を引き取っていました。福音記者がはっきりと記しているように、百人隊長は「イエスがこのように息を引き取られたのを見て」、この人は神の子であると告白したのです。

聖マルコによる受難の物語を聞く度に、このローマの兵士の信仰告白が繰り返し私たちに語りかけてきます。ラジオやテレビのおかげで世界中の多くの人々も共にしたこの伝統的な十字架の道行きの終わりにあたって、 今晩、私たちもあの百人隊長のように、すでに息を引き取られた十字架上のキリストの御顔 を見つめましょう。今、私たちはいかなる時代の歴史においても唯一無比の人の悲劇的な死を追体験しました。彼は 他人を殺すことによってではなく、十字架にかかり自らの生命を捧げることによって、世界を変えたのです。私たちと何ら変わるところがないように思われたこの人は、自分を殺す者たちを赦しました。彼は神の子であり、聖パウロが思い起こさせているように、「神の身でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、しもべの身分となり、人間と同じ者になった。へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順だった」 (フィリピ 2,6-8) のです。

主イエスの痛ましい受難は、最も堅い心の人々をも感動させずにはおきません。なぜなら、それは私たち一人ひとりに対する神の愛の最高の啓示だからです。聖ヨハネは言っています。「神はその一人子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠のいのちを得るためである」 (ヨハネ 3,16)。キリストが十字架上で死なれたのは、私たちへの愛のためなのです。何千年ものあいだ多くの人々がこの神秘に魅せられ、彼ら自身もキリストの助けによって、キリストのように自分の生命を兄弟たちのために捧げながら キリストに従いました。それは聖人たちや殉教者たちです。しかし、彼らの多くは私たちには知られていません。今日でもどれだけの人々が日常生活の沈黙の中で、その苦しみを十字架上のキリストの苦しみに一致させ、真の霊的かつ社会的刷新の使徒となっていることでしょう。キリストなしにして、一体、人は何なのでしょう。聖アウグスティヌスは言います。「もしキリストがあなたを憐れんでくださらなかったら、あなたはいつも惨めだったでしょう。もしキリストがあなたの死を共有してくださらなかったら、あなたは生き返らなかったでしょう。 もしキリストがあなたを助けてくださらなかったら、あなたはどうすることもできなかったでしょう。もしキリストが来てくださらなかったら、あなたは迷っていたでしょう」( 講話 185,1)。だとしたら、どうして私たちの生活の中にキリストを受け入れないことができましょう。

今晩、私たちは傷だらけの主の御顔を見つめましょう。私たちの苦しみをすべて引き受けてくださった苦しみの人の御顔です。その御顔は、はずかしめられ、侮辱されている人々、病人たちや、苦しむ人々、孤独な人、見捨てられ疎外されているすべての人々の顔を映し出しています。キリストはその御血を流すことによって、私たちを死の奴隷制か救ってくださいました。私たちの涙の孤独を打ち砕き、あらゆる苦悩と不安の中に入られました。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、ゴルゴタの丘に十字架がそびえています。しかし、私たちの信仰の眼差しは、復活の新しい日の暁にすでに向かい、復活の輝き、喜びを味わっています。 聖パウロは書いています「キリストと共に死んだのなら、また、キリストと共に生きることにもなると私たちは信じます」(ローマ 6,8)。この確信をもって、私たちの歩みを続けましょう。明日、聖土曜日、祈りの中に御悲しみの聖マリアと共に夜を明かしましょう。こうして主キリストの復活の奇跡を、過ぎ越しの徹夜祭において準備しましょう。悲しんでいるすべての人々、特に、イタリア・ラクィラ地方での地震被災者たちのために祈りましょう。彼らにも闇に包まれたこの夜に 、復活された主の光、希望の星が現れますように。

これよりご復活のお喜びを申し上げます。よみがえられた主の光の中に、よい復活祭をお迎えください。







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