2008-08-29 17:46:55

教皇一般謁見・カテケーシス要約(2008.8.27)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日のカテケーシスでは教会が今年を特別に「パウロ年」として記念する偉大な使徒聖パウロの生涯について考察しましょう。

聖パウロは現在トルコ領となっているタルソという町でユダヤ人家庭に生まれました。サウルという名前を受け、テント職人の技術をも身に着けました。12歳の頃エルサレムに勉学のために行き、ファリザイ派の厳格なユダヤ教教育を受け、モーセの律法に対する熱意に燃えるようになったのです。

このような立場に立ったパウロにとって、キリスト教徒たちの動きはユダヤ教の正統教義に対する脅迫だと映ったのです。ですから後に自分自身も告白しているように、あのダマスコへの途上で劇的にキリストと出会い、その生涯を完全に変えることになるまでの間、猛烈に「神の教会を迫害し続けた」(1コリント19,6)のです。

パウロは後に3回にわたる宣教旅行に出発し、アナトリア、シリア、キリキア、マケドニア、アカイアなど地中海沿岸の諸都市でキリストの福音を宣教します。

エルサレムでユダヤ人たちの訴えによって逮捕された後、パウロはローマ市民としての権利に基づきローマ皇帝に上訴します。聖パウロのこの時期の状態を描写している使徒言行録の著者聖ルカはネロ皇帝の決定について直接には述べていませんが、パウロが2年間ローマで囚われの生活を余儀なくされたことを伝えています(使徒言行録28,30)。

その後言い伝えによれば、斬首によって殉教の栄冠を得ました。パウロは惜しみなく諸教会のためにその力を使い果たし、多くの苦しみ心労に耐えました。事実彼自身が言っているように「何事も主の福音のために」(1コリント9,23)行ったのです。

私たちもパウロに倣い、パウロのようにキリストの福音に心から奉仕するよう努めましょう。

 







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