2008-08-13 18:47:31

「祈る者は決して希望を失うことがない」教皇、コルベ神父とエディット・シュタインの生き方を示す


教皇ベネディクト16世は、ローマ郊外、カステルガンドルフォの離宮で13日、水曜恒例の一般謁見を行なわれた。

北イタリア・ブレッサノーネから戻られて2日後、教皇は山間の町での充実した休暇を振り返りながら、その間、教皇に祈りを託す多くの人々を思い起こし、様々な意向のために祈り続けたことを明かされた。

特に毎日のミサやロザリオの祈りの中で、人々のための祈りを常に心に留めていると述べた教皇は、祈りこそが教会と人類のためにできる自分の第一の務めと話された。

「祈る者は、困難で絶望的な状況に置かれた時でさえも、決して希望を失うことがない」と、祈りが多くの聖人たちやキリスト者の歩みを支えてきたことを教皇は説きながら、その現代の証として、教会暦で先日8月9日に記念された十字架の聖テレサ・ベネディクタ修道女(エディット・シュタイン)と、聖母被昇天祭の前日、8月14日に記念される聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父の生き方を示された。

教皇は、アウシュビッツ強制収容所で殉教した両聖人の生涯は、一見敗北と捉えられるかもしれないが、まさに彼らの殉教を通して、エゴイズムと憎しみの闇に打ち勝つ愛が輝くのであると強調された。

一人の囚人の身代わりを申し出て餓死牢に入れられた聖マキシミリアノ・コルベ神父(1894-1941)と、迫る死を自覚しつつ、心の落ち着きと平和を保ち、他の人々の必要に対する関心を失わなかった十字架の聖テレサ・ベネディクタ(1891-1942)の殉教を振り返る中で、この2人の聖人を支えていた静かで力強い祈りの存在を教皇は指摘。

迫害の嵐と共に死が迫る日々、「十字架よ、私たちの唯一の希望よ」と心から祈り続けたエディット・シュタイン、餓死牢で毒薬を注射されながら「アベ・マリア」と最期の祈りを唱えていたコルベ神父を思い起こされた。

コルベ神父の勇気と平和の常なる源泉であった、聖母への謙遜で信頼に満ちた祈りを思いながら、教皇は15日の聖母の被昇天の大祝日に向けて聖母への信頼を新たにしていくよう信者らを招かれた。







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