2008-02-07 16:47:55

教皇、ローマの聖サビーナ教会で灰の儀式、四旬節の歩み始まる


教会暦で四旬節入りした6日夕方、教皇ベネディクト16世はローマ市内の聖サビーナ教会でミサを捧げられ、この中で「灰の水曜日」の儀式をとり行われた。

四旬節は、灰の水曜日から復活祭までの主日(日曜日)を除く40日間にわたる祈りと償いの期間。公生活に入る前のイエスが荒野で40日間の断食を行ったことを思い起こし、この間、信者は悔悛、祈り、断食や節制、施しや愛徳の実践を通し、キリストの復活の大祝日をふさわしい形で迎えられるよう努める。また、四旬節は、受洗を前にした洗礼志願者たちの精神的準備の仕上げの期間であると同時に、すべての信者にとっては自分が洗礼を受けた時の思いを改めて心に刻む機会となる。

また、四旬節の初日である「灰の水曜日」には、信者が死と痛悔の象徴である灰を頭に受ける儀式が行われる。この灰には、前年の「枝の主日」(復活祭直前の日曜日で、キリストのエルサレム入城を記念する日)に祝福されたオリーブや棕櫚の枝を燃やしたものが使用される。

灰の水曜日に教皇がパラティーノ遺跡群の向かいにあるアベンティーノ丘の聖サビーナ教会に赴かれるのは毎年の伝統となっている。

丘に冬の夕日がかかる中、聖アンセルモ教会から聖サビーナ教会まで悔悛の宗教行列が行なわれた。聖アンセルモ教会のベネディクト会士と、聖サビーナ教会のドメニコ会士らを先頭に、信徒、聖職者ら、教皇が続き、連祷と詩編の響きの中、厳かに歩を進めた。
聖サビーナ教会で行なわれたミサ中の「灰の式」で、灰を聖水で祝別された教皇は、まず自ら灰を頭に受けられ、続いて「回心し、福音を信じなさい」の言葉と共に、他の参加者にも灰を与えられた。

教皇は説教で、復活祭に向けて四旬節の歩みをこれから進めていく上で、「祈り」と「苦しみ」の意味を心に留めるよう招かれた。

イエスの砂漠の40日とゲツセマネの死の苦しみは、祈りが悪に立ち向い勝利するための武器であることを示していると教皇は指摘された。さらに十字架上でイエスの祈りは頂点に達し、神は不在ではないのかと苦しむ人類の叫びをイエスは自分のものとされ、最後の孤独の中で全人類と共に祈りながら、神の心を私たちに開いてくださると、述べられた。

祈ることで人は神のみ言葉の光に自分の渇望を託し、真理である神との対話に深くひたり、いつわりとエゴイズムから解放されると教皇は話され、祈りという世界なしでは、人は自分自身の中に閉じこもり、神の声がこだまするべき所である心は、自分を映すだけの鏡となってしまい、内的な対話は独り言となり、自己を正当化する言葉だけが響くだろうと、祈りの大切さを示された。

また、苦しみの神秘はイエスの過ぎ越しの中にこそ、その答えを見出すことができると述べた教皇は、キリストの苦しみは神の愛の光に浸されたものであり、イエスは父である神への大きな信頼をもって、全人類のためにその苦しみと愛の「洗礼」を受けられた、と説かれた。

大きな希望に息づくほど、真理と善のために苦しむ力も大きいことは、教会の歴史の中で多くの人々が証ししたところであると教皇は話され、御子の後に従い信仰の道を進んでいった聖母と一致し、四旬節の歩みを始めようと、信者らを励まされた。







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